レココレ久方ぶりに、でも立ち読み。大滝氏の対談が興味深く。
譜割がおかしいノ話。納得なんだけど当時の『日本語はロックのメロディにのらない』論争への回答としての日本語を崩すという手段はコロンブスの卵的な物だと思え。洗脳なのかどうかわからないけど綺麗な日本語の曲はリズムに乗りにくいというか垢抜けしない気がするのです儂。
文字に母音と子音の表記がないのだから言葉も同じくでしょうか
んならChineseだとどうなるんだろう……崔健の歌を思い出す。意味がわからないから考えるだけ無駄なんだけど儂。



桜咲いたあとぱっと散ったトチった



チューリップのファースト『魔法の黄色い靴』のインナーにもこれがロック論争の答え、のようなことが書いてあったのを思い出した。