今晩のガイアの夜明け

ストレス社会
休職3回目にしてFire宣告を受けたわたし、元の会社に戻れる方々は倖せだ。
「うつは人生を考える転換期だ」居れも色々考えたが、結局もとの鞘に落ち着いてしまった、反省。
わたしの整備職的腕はないが、頭脳的整備をやってきた人間ですので。要は、スピードより理論的作業で。トラブルシューティングを得意としていた駄目整備士です。
整備受付フロントとして、客と工場員との板ばさみから、今度は上司らからの嫌味に変更。ストレスだらけだ。またパキシル復活させてもらおうと思ってる。
私は親・姉・数少ない友人の存在がなければ今ごろはここには居ない。不調を訴えたが精神病院を追い出され、半年は死ぬことばかり考えてた、そのときに激痩せしました。
精神科医は、話しをきかない糞ばっかなので、今は薬をもらうためだけに通ってます。結局精神医なんて話を適当に聞いてれば済む仕事なんだろ?

おまけ 入院中、主治医は副教授(教授不在の糞病院)で、研修医の女性が主治医として当たってくれたものですが。その方が、インプレッサに乗っているといってらした。
で、不調の為に入院延長させてくれとの旨を伝えたところ、働けばよくなると言うので、スバルでメカニックをしていた私は「私が修理した車に安心して乗れますか?」と質問したところ答えをはぐらかしたのが凄く印象に残っている。
結局こいつも精神病患者を蔑視していたようだ。
どの科目にしても、医者は信じない。


ついでに書いておく。 入院した時、外泊で会社の工場へ出向いた時のこと。
工場長に「おまえおいいなー仕事休めて。おれと変わらんか?」と。比較的調子よいので外泊許可おりてる状態なので、サボってたと思われのでしょうが。あんた、この病気のおそろしさが実感できれば、軽々しくそんなこといえんぜ。比較的調子よいとはいえ、踏み切りに立つと無意識に電車に向かっていきそうな感じの恐怖をわかっていえ。満員電車に乗ったとき卒倒しそうなのを押さえつつ気合でのってるということも忘れるな!・・・いまだに地下鉄怖い、PDが出る。